『JOKER』感想~肥大した「よりしんどいべき」妄想とお呼びじゃなかった悲しみに~
『JOKER』見てきました。
バットマンの知識はほぼないし、アメコミ原作の映画には興味をほとんど失っていたんですが、「貧しくとも人に笑顔を届けたい男が、色々つらい目に遭って史上最も有名な悪役になる」なんてあらすじだけでサイコーじゃんと惹きつけられて、これは見なければなと思って。
実はジョーカーのことは『ダークナイト』で初めて知り、それしか知らないんだけど、それだけでも彼がそうなった過程を知りたいと思うに余りある、十分魅力的で印象的なキャラクターでした(後述するけど、『ダークナイト』自体にはそんなにというか全然乗っかれなかったんだけど……それでもジョーカーはとても魅力的に映った)。
しかしまず本編よりなにより、本編開始直前に入場してきた隣の席の人が席につくなりドリンクとポップコーンをひっくり返して、おそらくほとんど手をつけられないまま床に落ちたポップコーンをかき集めたり、反対側の席の人に謝っているのが本当に可哀想で、一番の演出になってしまった。
画面には不良たちにボコボコにされて地面にうずくまって泣くアーサー。隣ではポップコーンをかき集めるおじさん。双方向から押し寄せるみじめ。現実はとてもみじめでつらい。
さて本編、とてもじわじわとつらかったな……と思うんだけど、後半はあっさりというか、みじめなエピソードからスピーディーに事に及ぶなと思った。
正直「色々つらい目に遭う」部分の妄想を膨らませすぎて、というか、言葉だけでおお怖いと思ってるうちが一番勝手に気分だけ盛り上がるよな…… というわけで若おかみを見ようと思います。
アーサーが最初の殺人に及ぶまでは本当にみじめでつらかった。冒頭のエピソードが特につらい。私ピエロが苛められるの本当にダメ。実際泣きながらメイクするアーサー、不良にボコられて股間抑えてうずくまるアーサー、そして画面を覆うタイトルロゴだけで100点満点中500点だよ。
恵まれない環境の上、自分の性質のせいでより生きづらくなっているのがインターネット生きづらオタクには一番共感できてつらかったな(JOKERを自分に寄せるな)。程度の差こそあれ、その場で望まれない言動をしてアレになったときのアレな気持ち、ゥチもめっちゃゎかる😢
コメディアンになりたいのに肝心のジョークがダメなのもつらいょね。渾身のネタ絵が滑ったときみたいな気持ち、ゥチもゎかるょ……
また個人的に映画全体のつらさの大部分を占めていたのが、目を背けたくなるほど痩せたホアキン・フェニックスの視覚的インパクト。これでもかとばかりに脱ぐ。不自然なほど盛り上がった肩甲骨と肋骨がいたたまれない。
食事が満足に出来ないのは一番つらい。気持ちも考えもどんどんくすぶっていく。そのさまをイオンの中のシネコンで、フードコートでお腹いっぱいにして鑑賞してるのがなんとも"他人事"感あって悪い気持ちになりますが、今回ばかりは隣のポップコーン返しおじさんがいたおかげで食べ物にありつけないつらさを4DX感覚で味わうことが出来ました。
これでもかとみじめエピソードが畳み掛けられ、「もう見てられねぇよ!アーサー!やっちまえ!」とアーサーが狂って殺人鬼と化すことに観てる方が救いを見出すような気持ちになりかけてマジでヤバいっすね。実際、格差がゴイスーなゴッサムシティで証券マンを殺害したピエロ面はヒーローになる。
酔っぱらい証券マンに絡まれるシーンは本当に怖かった。アーサー死んじゃうかと思った。私も日本人女性なので電車で酔っ払いに絡まれたときの面倒臭さは身を以て分かるぞい。美樹さやかも魔女になっとったしな。アーサーもそりゃやっちまうよ。
証券マンを殺したピエロ面の殺人鬼が、低所得者層のヒーローになってデモ活動にまで発展するさまが現在の世情を反映しているようで、一番いやな感じがしたな。実際にはそんなに短絡的にはいかないだろうが、なにかのきっかけで起こりうるかも知れない集団ヒステリーという印象。
鑑賞前はジョーカーのパーソナルな事情で世間からの孤立を深めてそうなるのかなと想像していたから、ジョーカーが生まれるまでにバックグラウンドにまず社会全体の不安がありまして、というのが予想外で良かった。ゴッサムシティはマジでヤバいけど、それがもはや「ゴッサムだからでしょ」で片付かないリアリティを孕みかけているというのが怖い。でも確かにジョーカーを支持する社会がなければ、彼は悪のカリスマにまでは至らなかったと考えると、もちろんそういう展開は予想されたんだよな。いやバットマンのこと全然知らんくてゴメンねって感じだけど。
で、そこからもみじめエピソードが畳み掛けられてくるんだけど、一度やっちゃうとアーサー吹っ切れたみたいでどんどん行動が大胆になる。え!?いきなり突撃する!?とかそんなの絶対怪しいからやめたほうが良いじゃん……とか。みじめエピソード即行動!って感じなんで「ツライ!もう許してやって!」感は減るんだけどもはや常人にはついていけない。その時点で既にアーサーは狂ってたんだな。でもお母さんの手紙読んじゃって発覚した本当の父親と思われた人が、実はお母さんの妄想で、その上お母さんは自分のことを虐待してたって話のスピーディーさにはちょっと待って待って!ってなってしまった。その辺の見せ方のジワッとした"嫌さ"はたぶん邦画とかの得意とするところなんだと思う。でもアーサーはもう頭の中スッキリしちゃってるからな。思い立ったら即行動よ。
あーでもわかんねぇ。私が理解できてないだけかも。隣人のソフィーとの恋路がぜんぶアーサーの妄想だったのも説明されないと分かんなかったし。アーサーがショーのステージでやらかしちゃうところももっとみじめにしてあげても良かったんじゃない?って思うんだけど説明過多かな?共感性羞恥心が足りないのかなぁ……全部説明されないと分からないのか…情緒表現たっぷりのコンテンツで育ちすぎたせいなのか……逆に多くを読み取ろうとしすぎなのか………
最近本当に自分の読解力のなさが不安になる。映画を見る才能がないのかもしれない。ちなみに好きな映画は『CASSHERN』です。
ともあれ、もっとみじめでとてもッラィ…!しんどぃ……!みたいなのが続いた後クライマックスでカタルシスのようにジョーカー覚醒!となるのかなぁと思っていた自分の浅薄な考えを裏切られたというか、色々思い描きすぎたなと思います。
思ったよりつらい話ではなかったけど、つらい話に変わりはないのでまた見たいなと思います。
それから本筋とは関係ないですが、挿入歌がめちゃめちゃ良かった。オールディーズなナンバーはそれだけであたたかみと裏腹の哀愁がありますな。それ以外にもOP、スタッフロールで使われるカリグラフィーフォントのレトロさ、街並みやTVショーの雰囲気も可愛くて寂しげでいい。
あとはラスト、血のついた足跡を引き摺ってるのにコメディ~にして終わらせたのが良かった。ジョーカーの”喜劇”にされちゃったんだな。
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さて、冒頭で少し書いた通り私は『ダークナイト』にあんまり乗りきれなかったんですが、今回も「すごい好きそうな要素が転がってるのに、いま一歩ハマり切ることが出来なかった」というのがすごい悔しくて。
いやじつは、『ダークナイト』劇場公開時、たいそう評判だったのでそれならばと思い見に行ったんですけど、「アクションすごい!ジョーカーいいね!」とは思ったんですけど、実はどこがそんなに絶賛されてるのかよくわからなくて……
それどころか、こないだ地上波放送されてる時に見たら記憶してた内容と話がぜんぜん違くてビックリした。なんか私ゲイリー・オールドマンが真の黒幕で、最終的にゲイリー・オールドマンと対決する話だと記憶してたんだけど……エッマジで私の見たものなんだったの????みたいな。いや全然鑑賞当時の体調とか思い出せないんだけど病み上がりとかだった気がする。でもそこまで覚えてないもの??10年前とはいえそこそこ分別のつく年齢だったはずだが……とマジで自分の記憶とか読解力とか物の見え方がおかしいんじゃないかって怖くなりました。どうしよう。
自分で言うのもなんだけど、私は男の子が好きそうなもの好きになる素質あると思ってたんだよ…でもなんかしっくりこなくて……それ以前くらいに「なんかハリウッド超大作アクション映画ってだいたい同じような話だしもう良いかな」って思っちゃったことがあったんだけど、でもなんかバットマンは違いそうじゃん。なんたってコウモリだし。ワルそうじゃん。話自体もバットマン自身の正義、社会の正義を問うみたいな話で面白かったはずなんだけど……
なんなんだろうな。実はあまり男の子っぽいものが好きじゃなかったんだろうか?自分では必死に「バットマンのパラレル世界観を理解してなかったからだよ」とか理由を探してるんですが、なんか好きそうな要素が集まったものが思ったよりしっくりこなかったことが悔しくてたまらないんだな。
「客じゃなかった」と言われればそれまでなんだが、私は一体今後何を好きになれるんだろうな。
コンテンツを好きになる感度自体が鈍っているのかも知れない。
もっと色々なものを素直に楽しめる人間になりたかったな。
翻って『JOKER』は、バットマン世界観を理解してなくてもそれだけで成立するお話だと思ったからより魅力的に感じたんだよね。ジョーカーがどんなもんかというのを知っていれば尚良しみたいな。
しかしそんな自分でももしかしたら『ダークナイト』のジョーカーが語るデタラメヒストリーに幾分影響されるところがあって、もっと「よりしんどいべき」を想定してしまっていたんだろうな。
話がめちゃめちゃになってきた。『ダークナイト』に乗れなかった理由としては「長いシリーズの大枠で決まってる設定のお話の一場面を見せられてもそれだけで盛り上がりきれるか?」っていう部分が個人的にはひっかかったのかなと推測したけど、今回はジョーカーなるものの存在を知ってしまっていたから、逆にそのジョーカー像が大きくなりすぎてしまっていたのかも知れない。
単体の映画として話も演出も出演者の演技も素晴らしかったんだけど、やっぱ元のキャラクターありきだからな。それ故に鑑賞者それぞれのジョーカー像にある程度任せるところと、それに挑んでいくところとあると思って、今回後者がデカすぎたのかも……私にとっては。
まぁ乗りきれなかった理由についていくら考えても詮無きことなんですが、これだけ気になるってことは好きなんじゃんもう告っちゃえよ~みたいなことなのかも知れません。
次回、「我スースクを見るべきや否や」、書くかどうかはわかりません……